自己紹介

楽心斎の
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武術家・神仏習合実践家・占術家・スクール運営者

自己紹介 概略

1975年 台東区 生まれ。 3歳から家伝の居合術を始る。小学生の時 に師匠に出会い、1400年の歴史を持つ 九曜流居合平法の第69代宗家になり、 「楽心斎」の名前も受ける。

23歳の時に「ポケットの中の650円」から 資産形成を始める。この頃の極端な貧乏経験のおかげで 貧乏逸話で負けたことがない。 

20代で作曲で年収1,000万円突破。

30代で株、会社経営、 起業等で一気に億万長者のステージに上る。
広い世界を見たいとの思いから、南極大陸以外のすべての 大陸を旅し約世界30カ国以上を周る。
日本人・華僑・ユダヤ人・ マハラジャなどの大富豪の薫陶を受け、最後にドバイの大富豪の教えを受け開眼。
10億円プレーヤーに成長する。
貿易・起業・商品プロモーション・M&A・ファンド組成など様々分野で活躍。
30代で親と死別し天涯孤独になる。
2012年心臓の大病で心停止と臨死体験。
この時「神」と交渉して現世に帰還。
神とともに生きる
「カムナガラな生き方とビジネス」を説いてまわる。 2014年:遥かなる仏縁に導かれ日蓮宗で僧侶になる。 2015年:bayFMにてタレントの時東ぁみ氏とラジオ番組のメインパーソナリティー を2クール務める。

2016年:東京・大阪・福岡・名古屋で毎月セミナーを開催。武道を中心に日本人の 考え方と生き方を伝える。

2017年:「Facebookで節税する方法」(共著)上梓
企業研修事業 開始

2018年: 結婚 

目次

はじめに

こんにちは!髙橋楽心斎です。
私に興味を持ってくださってありがとうございます。
いろいろなLPやSNS経由でココにたどり着かれたことと思います。
まとめて自己紹介しますのでこちらを読んでいただければと思います。
正直に書くので少し恥ずかしい話もあります。
内容は順次追加されていきます。

- 三歳で武術に出会う -

1975年8月12日に生まれました。本名は高橋弘行です。
江戸時代以降は代々徳川家に使える医者の家に生まれました。
両親は歯科医です。庭付き一戸建てで育ちました。
3歳になるのと父から剣術と居合の手ほどきを受けました。
剣道も習ったんですが肌に合わずそうそうにやりたくないとやめました。
それ以降、剣術と居合を中心に練習しました。
父は乗馬もやっていて、身長175cmと当時にしては背が高く、引き締まった体をしていました。
パイプをふかすおしゃれな人でした。
私はシーシャが好きなんですが、煙を嗜むという意味では家系かもしれません。

髙橋家の武術の特徴
高橋家の剣術は、
大太刀抜刀術が基本になっている。
通常のいわゆる日本刀(打刀)が全長95cm程だが、
大太刀は刃の部分だけでこの長さがある。
型は至極単純だが、相対した時の間合いや呼吸などの
口伝が多い。
鎧を着ているときも想定している。
また、江戸期以降の打刀にも対応している。
写真は、通常の日本刀と大太刀の比較。
高橋家の柔術は逆技と急所への当身と蹴りがある。剣術の補助の色が強い。

習ってからは、居合が好きでひたすら早く抜くことを探求しました。
子供なので、脇差しを使った抜刀からはじめ徐々に長さを伸ばしていった。
自分で練習する時にふすまに穴を開けたり色々してよく父に怒られました。
稽古は結構厳しくて、思い出を2つほど上げると。
三歳の私に175cmの父が竹刀を振り上げ上段に構え、そこに打ち込む練習がありました。
「頭を使え!」と言われましたが、どうすればいいのか分からず、
まさにもぐらたたき状態で半泣きになったこともあります。
あれは辛かった。

あとは真冬の雪の日に庭に出るように言われて
防具つけて裸足で行う寒稽古など、
あのときはお母様が初めて泣いてるのを見ました。
本人的には、体動かしてますから
そんなにつらくなかったんですが、母が泣いてるので
「やめたほうがいいよな〜」なんて思ってたのを
覚えてます。
このときの経験が後々役に立つんですけど
それはまた別の話です。

初めて防具を身に着けた時、右肩が下がっていることがわかり、
母親に泣かれました。
抱きしめられて「ちゃんと産んであげられなくてごめんね」と抱きしめられたのを覚えています。
本人的には全くわからず、なすがなされるままにされていましたが
とても不思議でした。
「なかないで」というのが精一杯でした。
個人的には
刀大小を腰に差すと落ち着くので気に入ってます。

うちの仏壇は、当時不思議に思ってたんですが、家の一番端の部屋に隠されるように安置されていて、
家族の中では「仏壇の部屋」と言われてました。
「仏壇の部屋」まで行くのがなんとなく怖かったのを覚えています。
でも仏壇の前に座ると妙に落ち着くし鈴の音もすごく好きでした。
なんで仏壇をこんな端の部屋に置くんだろう?リビングに置けばいいのに・・・。
子供心にそう思ってました。
子供ですから、怖くても、「落ち着く」からトコトコ行くわけです。
しかし仏壇前に座ってるのが親にバレると怒られる。
そんな子供でした。
何回も通ってると中にナニがあるのか色々気になるもので、
ゴソゴソ探すと経本見つけるわけです。
ひらがなでルビ書かれてるから子供でも読めるわけです。
なのでゴニョゴニョ読んでみると、だんだん楽しくなってきて
楽しく読んでました。
で、バレると怒られる。
悪い子としてないのになぁと子供心に悶々としたのを覚えてます。

- 幼稚園時代 -

年齢がある程度上になると、幼稚園に入りました。
クリスチャン系のところです。
幼稚園といえど、なんかお祈りとかするんですよね。
わし仏教徒やし・・・・と斜に構えてました。
当時の私にはキリスト教の教えが胡散臭くて嫌だったんです。

あと、この頃親の方針でピアノを習い始めました。
バイオリンが専攻の先生でやたらとヒステリーに「なんでできないの?!」って怒る人でした。
のちのち、それが嫌で小学校三年になる頃にはピアノをやめてしまいました。

幼稚園事態は好きで通ってたんですが、ある日事件がありました。

シスターを泣かせた件
子供なんで、喧嘩もするわけです。
そしたら、当たり前ですがシスターに怒られるわけです。
「なんで殴られたからって手を出すの!だめでしょ!」って言われたわけです。
その瞬間ピンとひらめきました。
直後に私はシスターの左の頬を叩きました。
「なんてことするのこの子は!」
シスターは私を叩きます。
私は大声で言いました。
「嘘つき!なんで反対の頬ださないんだ!!」
シスターは愕然とした表情で一瞬固まった後、
泣きながら走り去ってしまいました。
キリストの逸話で「右の頬を殴られたら左の頬を出せ」っていうのがあるんです。
この話が胡散臭くて嫌だったので、軽いイタズラの気持ちで、これ幸いとやってみたんですが、
意外と大問題になりました。
親が呼び出され、退園させるさせないの大騒ぎになり、
でも、キリスト教のシスターとしての対応としてはどうなんだ?みたいな宗教的解釈まで出たそうです。
結果、もうすでに引退された老シスターがいらっしゃる庵に引き取られる形で
隔離というか、停学ならぬ停園処分になりました。
泣きながら走り去ってしまったシスターはシスター自体をやめてしまったそうです。
宗教的軸が折れちゃったんでしょうね。
今思うとなんとなく可哀想なことをしたような気がします。
元気でいてくれるといいなぁ(遠い目)
当時の私は、そんなこと意に介さず、
老シスターのところに朝いって、幼稚園が終わるまで
お菓子食べたり、紅茶飲んだり、なんか本読んだり
楽しく過ごしてました。

その後停園が終わり、幼稚園に復帰するのですが、
そりゃいじめられますよね。
友達がいない時期を過ごします。

理由は忘れましたがやたら早い時間に登園した日のことです。
まだ誰もいなくてガランとしてます。
寒々として無機質な感じの廊下を歩いてた時のことです。

初めての霊体験
廊下を歩いていると
前方の遠くのほうの天井あたりから、
大声で下の名前を呼ばれたんです。
お母様が呼ぶような感じです。
でもなんか怖い声で、人間の声とは思えない感じでし。
ぎょっとしました。
でも、視界の中には誰もいません。
というか女性は誰もいないはずなんです。
その事に思い至ると、余計怖くて、
仁王立ちで睨みつけました。
するともう一度同じような大きな声がしました。
とっさに「誰だ!」って大声で返したものの、
その後は怖くなって自分の教室に駆け込んで扉を締めてじっとしてました。
帰宅した後、お母様に「朝◯時くらいに自分のことを考えた?」と聞いてみましたが、
その時間は仕事をしてたとのことで考えていないと言われました。
「霊」という言葉を知らかったので忘れてしまいましたが、
幼稚園の絵本でおばけの本を読んだ時に思い出して
心底ゾッとしたのを覚えています。
なんだかよくわからないことが世の中にはあって、
世の中にはよく分からないモノがいるんだなと思いました。

初恋は幼稚園の年長組の頃です。
八重歯が可愛い女の子でした。
習字が上手い子だったのを覚えています。

小学校時代

小学生になると地元の小学校に行くことになりました。
まぁ、単純に「キリスト教やだ!」って駄々こねたわけです。
「シスター事件」がありますから、両親はすんなり了承してくれました。
小学校になると、保育園から一緒だった子たちとか、派閥がありまして、
全くそこに馴染めず、友達のいない時期になります。
しかも妙に理屈っぽいので、めんどくさい子供だったと思います。
小学校時代も何人か先生泣かせた気がする・・・。

帰宅時のホームルーム抜け出して、先に帰ろうとして、階段から落ちて足の骨折ったり、
バタバタした子供でした。
思い出せば腕折ったり、結局両足折ったり、怪我が多かったと思います。

小学校3年生になると、親の方針で中学受験することになり、
塾に通いだしました。

塾と学校と武術の練習と読書ばかりしている子供でした。
あんまり遊ばなかったのを覚えてます。
でもたまに遊びたくなって「仲間に入れて〜」っていくと
普段交流ないから「やだー!」って言われて揉めるみたいな感じでした。

でもまあまあ楽しくやってました。

小学校が終わると塾にいく。
塾が終わると、お腹が減る。
お腹が減るから買い食いをする。
家に変えると買い食いを知られると怒られるので
夕飯を食べる
このループでドンドン太り、90kgを小学生なのに突破してしまい
立派な肥満児になりました。

初めてのビジネス

霊体験

11歳九曜流居合平法に入門する。

受験の顛末

中学校時代

14歳殺陣のアドバイスや投資のアドバイスなどで収入を得る。バンド活動など音楽活動に邁進する。

15歳歴代最短で第69代宗家継承

高校時代

16歳高校一年の春に交通事故で脊髄損傷になり寝たきりになる。

17歳身体治療を目的として八卦掌を始める。

20代

22歳友人とIT起業するも事業失敗。

23歳歳音楽の企画制作及びイベント会社を起業。
様々なライブハウスや川崎のクラブチッタなどを舞台にイベントを企画制作する。
24歳作曲で月収100万円を超え、年収も1000万円を超える。
25歳作曲という肉体労働と才能に頼る生き方に将来を見いだせず、音楽業界から引退を決意する。

26歳アムウェイを始める。

27歳父他界

29歳年収1000万円を突破。これを節目にアムウェイをやめる。
作った資金を持ち前の株理論で株式に投資し、一気に資産を増やす。
同時に海外投資も始める。

世界投資と非居住者時代


30歳自身の人生を考えたとき、世界を広く見たいとの思いから、アジアを中心に投資視察を開始する。
北はシベリア、南は南アフリカまで、そしてアジア全域を周り、アジア経済の力強さを肌で感じ、
アジア投資に全ふりする。


32歳運命の国UAEに出会う。
33歳世界で勝負したいという熱い想いを胸に非居住者になる。
メインの住居をUAEに構え、現地で不動産投資や事業投資、金融投資、事業コーディネート、M&Aを含めた事業を展開
34歳リーマンショックのあおりを受けて、海外事業撤退を決意。
自身のリソースと人脈を考え、活動の場所を日本に戻す。
母他界
縁あって西洋の霊術も学ぶ。

帰国と大病

35歳日本国内向けにマーケティング会社を起業。インターネットプロモーションの破壊力を知り勉強と実践を開始する。
36歳東北大震災に衝撃を受け、価値観が大きくゆらぎ、九州に移住。
海外移住も一時真剣に考える。
37歳上行大動脈瘤という原因不明の大病をする。心臓から肺に行く血管が通常の倍の大きさになり、
心臓も1.5倍近く肥大。いつ破裂してもおかしくない状態になる。
知り合いの「陰陽師」のちからなどを借りながら何とか生ををつなぐ。
失敗率20%という難手術を乗り越え生還。
と思いきや手術の9時間後に心停止し、臨死体験を経験する。
臨死体験による悟りで大きく生き方を変える。
その後、4つの会社とスピリチュアル業務と自身が宗家を勤める武術の伝播に専念。
39歳出家
40歳 bayFMにて7月〜12月までラジオ番組のパーソナリティーを務める。

カムナガラの道


41歳全国でセミナー事業を展開。1000人以上の参加者と出会う。
東京名古屋大阪福岡の四都市で「道場」を展開する。
43歳結婚
44歳一度人生を見直すべく事業を縮小させ、様々な修行を再開。
47歳心臓の大病での臨死体験の悟りから10年の節目
48今

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